今回は、我が大学の客員教授を務めている今井紀明君のこと。
僕がまだサジョタンの学長に就任する数週間前、大阪にある今井紀明君が理事長を務めるN P O法人 D×P(ディーピー)を訪ねました。オフィスがある天満橋や京橋あたり、中之島エリアになるのですが、大阪のビジネスの中心です。風格のあるビルが川を挟んで立ち並んでいます。なんとかのケンミンショーが盛んに取り上げるような大阪の風景はまったくみられません。グリコのおじさんの万歳看板も、でっかいカニやフグのデコレーションも、通天閣もありません。ヒョウ柄の服を着たおばちゃんがウジャウジャいて、道を聞いたら、飴ちゃんくれるということもありません。そんな街のビルにD×Pはあります。
僕は京都の志津屋で買い込んだ差し入れのパンを持って約束の時間に訪問したのですが、今井君は帰ったばかりだと…。約束をコロッと忘れていたようなのです。僕と同じ、ウッカリさんです。というわけで、オフィスにいる僕と自宅にいる彼とオンラインを結んでお話をしました。そんな変な再会でした。
10年前から始めた「家族に頼れない15歳から25歳までの若者の支援」。虐待、経済的な搾取、家庭の不和・貧困、離別・死別など様々な問題に直面する若者に寄り添ってきた今井君。
最近はさらに、コロナウイルス・パンデミックという暗雲が、若者たちに覆いかぶさるように貧困のカタチをとてつもなく深刻にしています。
僕が訪れたオフィスでも、箱詰めされた支援物資がフロアに、ところ狭しと並べられていました。D×Pが始めた「ユキサキチャット」は、若者に「現金給付」と「食糧支援」をおこない、L I N E相談やビデオ通話によるチャットでスタッフと相談しながら、「行き先」を見つけていこうという仕組みです。
コロナ禍の2年間、現金給付は3700万円、食糧支援は6万5千人になります。

どうしてこんなことをしようと思ったのだろう。
どうしてこんなことができたのだろう。
これからどうしようと考えているのだろう。
今井紀明客員教授に聞いてみたいとは思いませんか。
8月7日の今井紀明×イザベラ・ディオニシオの異色のトークセッションは、僕が進行役のようなことをするのだけれど、もう今からワクワクしちゃっています。どんなことになるのか、それはその日任せです。いい意味で「思ってたのと違う〜!」になれば素敵だなと思います。
数日前、運転していて、カーラジオから流れていた曲が妙に耳に残ってしまい、気になって調べてみたのです。22/7(僕は読めない…)の「曇り空の向こうは晴れている」という曲で、作詞は秋元康さんでした。アップテンポの曲調から流れてきた言葉がリフレイン状態。
どうして生まれたのか?
どうして生きてるのか?
同じことをぐるぐると
考え続けて 夜が明ける
死にたかった 死ななくてよかった
窓から射す 陽の光にそう思った
曇り空の向こうは晴れ間が出て 風は思ったよりやさしい
死にたかった 今日までの自分
生きることに疲れちゃったのかな
なんだか苦しく感じてきたら
瞼閉じて そっと 深呼吸するんだ
さあゆっくり 息を吐いて (作詞 秋元康)
そういえば僕の10代も、明るく能天気なだけではなかったよなと。
訳もわからず、特に理由もなく、ぼんやり不安と孤独に沈んだり、あるいは些細なことで傷心の思いに浸っていたり、自殺した人の手記を読み耽ったり、暗い詩をノートに書きつけたりしていたこともありました。
なのに、大人になるとそんなことは忘れてしまったかのように…ともすれば、若者の内面を安易に軽く見てしまうのはなぜでしょう。
いま、喝を入れられるべきなのは若者ではなく、大人だと思います。
そういう意味で、若者がその時々の絶望で人生を台無しにすることがないように、頼れる場所はいくつあってもいいと活動しているD×Pから教えられることは多い。
そうだ、今井君からうれしいこと聞いたのを思い出した。「寄付者に若者が増えている」という。
若者が若者を救うようになってきたと。
やっぱり曇り空の向こうは晴れているね。