「こどものケンカみたいなことして・・・」「まるでこどものケンカじゃないか・・・」っていうとき、ケンカしているのはどんな人でしょう。
そう、大人ですよね。大人だったら、いきなり感情に任せて相手に暴力を振るったりしないで、意見の違いや対立が生じた時に、ルールを決めてそれにしたがって、お互いの理解を深め、ケンカになるようなことを防ぐべきなのですね。そういうことができず、ただ、いがみ合ったり、罵り合ったり、ついには暴力に及ぶとなると、「大人気ない・・情けない」となるわけです。大人のケンカは、ほんとにみっともないですね。
大人のケンカでいちばんいけないのは、国と国のケンカ、戦争です。「これ以上話しあっても意味がない、武力で決着をつけよう」いうことになり、たくさんの人々が巻き込まれ犠牲がでます。人類は1万年以上前から、おろかなケンカ=戦争を繰り返してきました。無茶苦茶な理由でも戦争になり、強いものが当たり前のように勝手に領土を奪い、人々を支配することが続いてきました。20世紀には世界を巻き込んだ戦争が2度も起きました。そこで、人類は戦争を防ぐために国際法や国連などの組織をつくってきたのです。
それでも、いまでも戦争が起きている。こどもを含むたくさんの人間が、毎日死んでいる。武力の強いものが勝者であるという考え方をもった国のリーダー、核兵器をもった餓鬼大将みたいなのが威張っている世界。そういう現実があるということを知ることも大切です。
人と人は、対話を通してこそ互いを知り、つながりをもち、助け合うことができます。対話を放棄することは、「こどものケンカ」や、「おとなのケンカ」の原因になります。
今年の4月、本学ではじめて実施した「トークフォークダンス」について、学生のみなさんが書いてくれたアンケートを見せてもらいました。
体育館にたくさんの二重の円をつくりましたね。なにせ、全学生・全教職員400人を超えているわけですから。その円の内側と外側の人が向かい合って、ファシリテーターが示すテーマについて交互に1分間話し合う。そして、一人ずつずれながら相手を変えていくというものでした。


ほとんどのみなさんが、「楽しかった〜」と。「廊下ですれ違うだけの学生と話す機会ができた」と、日本人学生にも留学生にも、こんな声がたくさんありました。サジョタンには、日本各地、世界各地から学生が集まっているのに、学科やコース、学年が違うだけで話す機会がない。普段接しているはずの教員や職員はどんな人なんだろう。そんな気持ちを持っていた学生がとても多かったということですね。
今回の企画で「友達ができました」という声がいくつもあって、うれしかったですよ。
ただ、「話すことが苦手な人がいて、無言になってしまい気まずかった」、「知らない人と話すことに抵抗があるのでつらい、来年はやめてほしい」などの声もありました。こういう意見を抱いている学生がいるということも、十分知っておく必要があると思います。
対話がなければ人と人の関係は始まらない。人と対話しないで人は生活することも、仕事をすることもできない。でも、そういうことが苦手だったり、嫌悪する人がいたりすることも当然あるのです。ちょっといち抜けて見学とか、外の空気を吸いにいくという自由もあってもいいのかなと思ったりします。
ファシリテーターを務めていただいた石橋裕子さんが、「話しにくいテーマのときは、ずっと黙っていてもいいのです。聞いている人は、急かしたり、無理に話しかけたりしないでください」って言ってましたね。対話は言葉だけではないのです。むしろ、非言語的なコミュニケーションの方が大切だったりします。相手の表情・仕草・目つきなどから、なにかを感じ取ることです。トークフォークダンスの意味は1分間の会話だけでなく、そんなところにもあるのかもしれません。そういえば、「たくさんの人の笑顔をみることができて楽しかった」という感想もありました。
無言の時間を共有することでも立派な対話になるのです。
国連でも、トークフォースダンスやったらどうかな。



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