学長なんでもノート

破片たちとの対話

佐賀を中心に暮らすようになって、つまり学長ということをはじめてから、3ヶ月が経ちました。

今週は、大学として記者会見を開き、「7人の客員教授就任発表と未来構想の説明」という緊張のイベントもあり、スタッフはてんてこ舞いでした。お疲れ様でした。

それはそれとして。

本日、久しぶりになにもやるべきことがない土曜日、たくさん寝ました。びっくりするほど。

考えてみれば、プライベートに佐賀のどっかを訪ねたということがほとんどなかった。天気のいい日に、干潟に行って、ムツゴロウがピョコピョコぴょんぴょんしているのをぼんやり見ていたぐらいかな。

ならば、出かけよう。

向かった先は、有田町にある佐賀県立九州陶磁文化館です。ずっと気になっていた特別企画展があって、終わってしまう前にと思っていたのです。

「海を渡った古伊万里 〜ウイーン、ロースドルフ城の悲劇」です。

城主ピアッティ家によって収集されてきた、古伊万里など世界の陶磁器が、第2次世界大戦の時、オーストリアに侵攻してきた旧ソ連の軍隊によって、徹底的に破壊されてしまうのです。

「ソ連」については、学長なんでもノート2022年4月25日 にも載ってます。

ピアッティ家は、そんな無数の陶片を捨てないで、戦争の惨禍を人々の記憶にとどめるため、城内で展示をしてきたのです。その異例の展示が、世界では初めて、日本で、しかも佐賀の有田町で行われているのです。

400年前に有田から海を渡った古伊万里が、戦争で破壊された中国やヨーロッパの陶磁器の名品のカケラとともに帰郷したということになります。

粉々に飛び散った陶片の展示なんて普通はないですよね。しかも、日本でしかできない修復技術により見事に復元された作品も展示されているのです。日本の技術はすごい!加えて、古伊万里の名品も展示してあって見応えがありました。

想像してみましょう。

焼き物のもとは、山に眠っていた石、陶石だったこと。朝鮮人の陶工が見つけるまでは。

その後、有田の名もなき陶工たちが技術と芸術を極めて、400年前には陶磁器の世界ブランドになっていたこと。

有田から海を渡り、遥かヨーロッパに旅する古伊万里たちのこと。

そして、お城の中で世界の名品とともに愛されていた古伊万里たちの幸せな300年間のこと。

第2次世界大戦が起きた時に、お城の人が地下の収蔵庫に隠したこと。(必死だったろうな)

でも、侵攻してきた軍隊に見つかって、破壊され尽くしてしまったこと。(その光景は恐ろしい文化の虐殺だ)

絶望的な光景を前に、それでも陶片を捨てないで、そのまま展示しようとしたこと。(素晴らしい決断)

だから、また海をこえ、ふるさとに戻り、あきらめていた修復により、再生される作品も生まれる。まるで、数奇な運命に生きた400歳の人間の人生のようですね。

戦争にできることは、命を奪い、すべてを破壊することだけです。

対して、どんなすごい破壊からも、たとえ陶片のように粉々にされても再生する力が、文化なんです。

腹減った〜と、飛び込んだ上海飯店の辛みそラーメンが絶品でした。

心にバリバリにヒビが入っても、きっと再生するさ。

(2022年6月25日 深夜)

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