5月17日、校祖中島ヤスの遺徳をしのぶ「校祖祭」がおこなわれました。125年の歴史のある学園ですから、セレモニーも時代によっていろいろあったようです。コロナウイルス感染拡大以前には、体育館に大学・高校の学生・生徒、教職員が一堂に介しておこなわれていたようですし、その昔には、みんながひとり一輪ずつの花を持ち寄り、供えていたこともあったようです。
今年は旭学園傘下の高校、短大、こども園がそれぞれに開催することになりました。
内田信子理事長の講話、献茶(ただしビデオ映像で)、そして献詠と続きます。
献詠とは学生が校祖祭にあたって詠んだ俳句を僕と同い年、漢字違いの「まさはる」さん、長澤雅春副学長が3句を選んで詠みあげるのです。長澤さんは、先日のスポーツ大会で教職員の中で唯一、リレーに出場し(よせばいいのに)、見事に転倒した(だからいったでしょ)先生です。
今回校祖祭の初めての試みは、卒業生によるトークイベントでした。「自分自身のドローンを飛ばそう」で紹介した深川さん、サガン鳥栖の韓国人選手に憧れて、サッカーと韓国語学習を始め、佐女短に入学し、結局韓国に3年間留学した江崎さん、同じく友人たちの励ましがあって韓国留学という自らが課したハードルを乗り越えた(こみ上げてくるものがあったんですね、泣き虫でごめんなさいといいながら語ってくれた)渕上さん、この3人はいま短大の事務局で働いています。
もうひとりフィリピン出身のカリーニさんは、入学した時は、同じ国の学生がいなくて、日本語もおぼつかなく、孤独で不安な日々を過ごしていたという経験をしていますが、今や介護福祉士として佐賀の障害者施設で働いています。
入学や留学、そして進路という選択にさまざまな葛藤があり、友人や教職員の輪の中で克服してきたという身近な先輩の話、学生の表情が明らかに違っていた。先輩たちの言葉がどんどん染み込んでいる感じでした。
みんな素晴らしいな〜。
いつかまた紹介したいと思いますが、アドリエンヌ・リッチというアメリカの女性詩人がいます。津田塾大学の髙橋裕子さんの「女子大学だからできること」という講演録(武庫川女子大学研究レポート第40号)を読んだときに、彼女の言葉が印象に残ったので、ノートに書き留めていたものです。
「世の中の大部分は、女の場所ではなくて、女を否定する場所だということ、そして女は、女の場所とは何でありうるかをつかむ必要があるということ – そこに引きこもって庇護されるのではなくて、力を与えられ、みずからの価値と全体性に確信をもって、そこから前進していけるような場所として。わたしはそのとき、それが意味しているのは美しい 寄宿舎ホールや庭園があることではなくて、魂をもつことなのだと悟りました。」(アドリエンヌ・リッチ、大島かおり訳『血、パン、詩。』晶文社、1989年)
「魂」をもつこと・・・・。女子大とは、堂々とした女性の居場所をつくりだす女性を生み出す道場のようなもの、そのために「魂」を磨き、女性を「武装」させ、背中を押して、女性にとってはまだまだ厳しい世の中に送り出す存在かもしれない。
校祖中島ヤスという人は明治30年(1897年)に、小学校の教師をしながら、求めに応じて、女性たちに裁縫を教え始めたことが原点となって、今の旭学園につながっています。
裁縫は当時の女性が生きていくためのスキルだったのですね。女性が学び働き自立していくということは、当時はまだ当たり前ではなかった。だから時代の常識に抗い、新しい価値観を持って学校をつくった中島ヤスは、今でいう教育ベンチャー、起業家です。その精神は卒業生一人ひとりの中に、それぞれの中島ヤスとして宿っているのだと思います。
献詠の俳句の中で、僕が一番心に残ったものは、ネパールからの留学生ラビカさんの句です。彼女は来日2年の生活を経て、今年入学しました。この句自体には季語はないですが、僕は日本で3度目の桜咲く春を迎えた彼女の気持ちとして受け止めました。
国のこと 話せるようになりました