松田美緒さんが“福岡でライブをやるので九州に来る”ということを聞いて、ならばサジョタンに立ち寄ってくださいとお願いして、7月8日の来校が実現したのです。
数日前から、学生ホールには彼女の映像が流され、大きな写真とともに「この人来るよ」のポスターが何ヶ所かに貼られていました。
当日、長崎から特急かもめに乗って佐賀に向かおうとした彼女ですが、なんと鹿児島本線で事故が発生して電車が運休になってしまいます。昼休みに計画していたライブはできなくなりました。
残念でした〜と普通なら終わるところですが、サジョタンは転んでもただでは起きないのです。その日音響をお願いしていた宮近由紀子さん(らんらんともいう)が代役となりライブを実施したのです。宮近さんは佐賀災害支援プラットフォームの活動を通して、サジョタンの教育活動に関わっていただいていますが、ティーンズミュージカルSAGAやラジオのパーソナリティなど多彩な活動をされています。らんらんさん、ありがとうございました。
それにしても、ダメとなったら瞬時に頭を切り替え行動に移す。事務局・泉万里江さん、久保知里先生をはじめとする我がサジョタンの「なんとかしてしまう力」は本当にすごいもんだと思います。
電車が運行を再開して、松田美緒さんが1時半ごろ佐賀駅に到着するという知らせを受けて、それならば…!と、今度は青柳達也先生が動きます。自身の英語の授業の場を教室から学生ホールに移して、学生とともに彼女の到着を待ち受けてくれたのです。これもすごい。サジョタンのスタッフは、「お伺い」を立てずに自分の判断と責任で行動している。
松田美緒客員教授の初めての授業が始まりました。
6カ国語を話し、20カ国で歌うことのできる彼女が学生たちに、「何語で歌いましょう」と問います。
「ポルトガル語?ポルトガルのポルトガル語とブラジルのポルトガル語は発音が違うのです。じゃあ両方歌ってみましょう」
彼女の歌声が、ホールに響き渡った瞬間から、学生や教職員は心地よいエコーに包まれるような気分になったと思います。知らない言葉、意味がわからない歌、でもなんでこんなに胸に染みるのだろう。この不思議な気持ちはなんだろう。
「イタリア語?では、ミラノの言葉で」あれ、途中で歌が変わった!ゴッドファーザーのテーマだ。学生にわかるかな〜。
「韓国語?では、トラジを。これは学長もいっしょに!」歌わされちゃいました。
歌とともに、彼女の人生が語られます。
大学時代のカナダ留学で原住民に歌とリズムを習い、歌手になろうと決めたこと。
ポルトガルの大学で言葉を学びながら、夜の街場で民謡ファドを習いながら歌っていたこと。
それから、世界を放浪し、人々と交流し、音楽の幅を広げていったこと。
最後に日本語を!と言われ、彼女が歌ったのは長崎に伝わる隠れキリシタンの歌でした。
数百年間に及ぶ禁教の中での祈り、その魂を伝承してきた歌です。なんと美しい歌だろう。
彼女が最近手がけている活動は、日本の昔の歌の再発見。膨大な音源を聴き込んで、これはという歌を見出したら、全国どこへでも歌い手に会いに行き、直接教わり自分の歌として表現する。気の遠くなるような取り組みです。歌を教わるのはほとんどが高齢者、彼女との出会いがなければ歴史の影に消えてしまうのです。
隠れキリシタンの歌の数々も、彼女がそうやって新たに世の中に送り出したものです。
その日の夜、市民グループのみなさんが、急遽ライブを開催してくれました。口コミだけなのに、30人の方でライブハウスは満員。佐賀は「なんとかしてしまう力」に満ちている。僕は、松田美緒さんの紹介のためにトークの相手を務めました。
彼女にとっても初めてのアカペラ・ライブ。
時空を超えた世界と日本の歌の旅。素晴らしい時間でした。
アカペラばかりだとさみしいからと、彼女から頼まれて、数曲、僕がギターで伴奏したのですが、これはご愛嬌。
その夜、彼女と行った居酒屋。テレビからつらいニュースが繰り返し流れていました。
彼女は、釜揚げうどんを食べながら、今度は佐賀の歌を発見したいと何度も熱く語っていました。“生きているからこそできることがある”そんな言葉が頭をかすめました。
国境も、言語も、歴史も、文化も、どんな違いも歌は乗り越えて、人々の心に届く。生と死の境も超えていく。