初めて韓国に行ったのは1993年の春。
大学時代に朝鮮半島の歴史を専攻していながら、試韓は卒業してから12年も後のことになりました。あれから、かれこれ30年。
いったん行き始めたら、どういうわけか、韓国との縁が次々と生まれ、もう数えるのは辞めにしたけれど、これまでに数百回は訪問しています。もちろんあちこち観光もしましたし、市民運動として日韓問題の映画をつくっていた時には、その関係でも何度も足を運びました。数週間ソウルで語学学校に通っていたこともあります。韓国語はいまだに上手に話せないですけれどね。
やはり仕事として大学や高校を訪ねることが圧倒的に多かったのです。特に立命館アジア太平洋大学(A P U)の開学前後は、毎週のように別府と韓国を往復していた時期もありました。
僕という人間の人生を風景化するとすれば、思い出深いたくさんのシーンは韓国で占められている。韓国は僕にとってそんな存在です。
そんな僕ですから、佐賀女子短期大学と出会ったとき、韓国語文化コースがあると知って、ホントびっくりしました。また名前を出すのはシャクですが、このコースの生みの親は、僕と同い年の「マサハル」、長澤雅春先生です。女子短大として保育、教育、福祉分野で、社会の即戦力を育成していた大学に、韓国の大学との共同学位プログラムを設けるなど、当初は違和感があったに違いないのですが、今はすべての学生に留学の機会があり、韓国はすっかりサジョタンの名物になっています。
いま取り組んでいる佐賀女子短期大学の将来構想「SAJO FUTURE 2030」でも、韓国語文化コースの進化発展が鍵になるという気がしています。
そんなわけで、今回の今村書店は、2冊の本を紹介します。
『韓国エンタメはなぜ世界で成功したのか』菅野朋子(文春新書)
『韓国カルチャー 隣人の素顔と現在』伊藤順子(集英社新書)
菅野さんは、韓流が、「隣のエンタメ」から「世界のエンタメ」になった転機を2020年と定めて、そのパワーの源泉に迫っていく。2020年といえば、映画『パラサイト 半地下の家族』がカンヌ国際映画祭最高賞、アカデミー賞4冠を獲得、ドラマ『愛の不時着』が世界的ヒット、B T Sのアルバムがアメリカのビルボードで1位に輝いた。そんな年でした。この本の前半では、韓国エンタメ産業の全貌を解析していく。後半は、さすが「文春砲」の元記者を感じさせる、超成長と韓国の封建的体質、そのギャップがもたらした深い闇の部分にも切り込んでいく。
伊東さんは、韓流ドラマや映画を入り口に、韓国という国の文化、韓国社会の深層に連れて行ってくれます。家族のありかた、フェミニズムの変遷、光州事件などの過去が照射する「今」、北朝鮮と韓国、財閥と富裕層と「半地下の人々」、不動産階級社会、多文化共生社会、そんな韓国の様々な現実を映画やドラマは描いていたのです。そうか、『サイコだけど大丈夫』は・・・、なるほど、『梨泰院クラス』は・・・、う〜ん、深いね、『賢い医師生活』は・・・となりますよ。
そして、ときおり、ならば日本の現実はどうなんだろうと考えさせられたりして。
「ストレートな正直さ」伊東さんはそれが韓国作品の魅力であり、韓国社会や個人の魅力にも通じると、「もっと素直に、遠慮しなくてもいいから、悲しみなさい、怒りなさい、喜びなさい。そして語りましょう。照れなくてもいいから、愛について、正義について、希望について」と述べている。同感です。
面白いことに、菅野さんも伊東さんも、長澤先生も、90年代前半に韓国に留学しています。僕はといえばひんぱんにウロウロしていました。みんな、同じ景色の中にいたことになります。
僕が出会った当時の韓国の人々は、軍事独裁を乗り越え、幸福な未来にまっすぐに向かっていたように見えました。荒っぽくて声がデカくて、よく怒るし、よく泣くし、よく笑うし、そしてとんでもなく優しくて、おせっかいで、カッコ悪く、カッコよかったなあ。
韓国の風景は、今や未来都市みたいに変貌を遂げているけど、90年代の韓国の人々は、30年経ってもドラマや映画の中に生きているのかもしれないですね。