今は、2023年から2024年へ、年が改まる境目に向かって、時計の針が進んでいます。
大晦日と元旦、12月31日と1月1日は、1月31日と2月1日、8月31日と9月1日のように、月替わりには違わないのだけど、年が変わるということについて、何か特別な心持ちになるのはどうしてでしょう。ホントはどうでもいい気もするのですが。
でも、そういう僕も、大晦日には決まって、元旦に、家族で食べるために、大鍋で牛テールスープをつくっています。今日も。そして、この日ばかりは、部屋に籠って、しばらくクラシック音楽を聴きます。それも決まって、毎年同じ曲です。
人は、長いようで短い、短いようで長い人生の道のりに、一年刻みで区切りをつけているんでしょうね。リセット!引き摺りたくないこと、忘れたいこと、は昨日までの過去に残して、新しい年からまたスタートできる、ような気になるというか、させるというか、そういうことなんだろうと思ったりもします。
ところで、リセットって、日本語ではなんと表現するのだろう。
たとえば、「初心忘るべからず」という言葉はどうでしょう。みなさんも聞いたことがあるかもしれません。今から600年ほど前に、能という日本独自の舞台芸術を創始した世阿弥(ぜあみ)という人の言葉です。一般的に、この言葉は、若いときにたてた志、原点のようなものを常に忘れてはいけない、と理解されがちですが、どうもそうではないようです。
世阿弥は、未熟だったときも、年齢を重ねていくごとにも、そして老年期になったときにも、それぞれに「初心」があると言っているのです。どんなときでも、新鮮な気持ちで、謙虚な態度で、初心者のつもりで挑戦しようぜ!とまで、世阿弥は言わなかったとは思いますが、まあ、そんなところかなと。そういえば、「初」という漢字は、刀と衣ですよね。着物を作るときに、鋏でシャーッと生地を裁断する感じ(ダジャレかいな)ですね。まさに、リセット、いやそれより意味が深い。
18歳でも、40歳でも、65歳でも、「初心」でいること。
それを一番意識するときが、お正月ということになるのかな。
そして、学生のみなさんの「初心忘るべからず」にピッタリの本を、新年の図書館に置きます。
出口治明さん(2023年12月末まで、立命館アジア太平洋大学・A PU学長)が、若者のために著した『なぜ学ぶのか』です。
出口さんは現在75歳ですが、今から3年前、脳出血を発症しました。出口さんは、言語機能や、右半身麻痺という重度な障害に直面しながら、懸命にリハビリにとりくみ、言葉を少しずつ回復させ、左手で文字も書けるようになり、昨年4月には、念願かなって、学長職にも復帰されました。
凄いですね。僕はAPUで出口さんと働いたことがあるので、退任前の年末に、ご挨拶に行ってきました。『なぜ学ぶのか』はそのときに、佐賀女子短期大学の学生にと、いただいた本です。表紙をめくると、出口さんが僕の目の前で書いてくれたサインがあります。
2024年が始まります。一年も長いようで短い、短いようで長い。いろんなことが待ち受けているでしょうけど、ふと、こんな言葉も浮かんできた。
「お急ぎならひとりで、遠くに行くならみんなで」
みんなと行く方が、断然、楽しいに決まっていますね。