戦後80年の夏。
こんな歌を久しぶりに耳にしました。
〜ぼくらはみんな 生きている 生きているから 歌うんだ
ぼくらはみんな 生きている 生きているから かなしいんだ
手のひらを太陽にすかしてみれば 真っ赤に流れる 僕の血潮
ミミズだって オケラだって アメンボだって
みんな みんな 生きているんだ 友達なんだ〜
「手のひらに太陽を」 作詞:やなせたかし 作曲:いずみたく
8月に聞いたからなのか。そうか、この歌は、平和を激しく求める歌であり、強烈な戦争反対の歌なのだと思いました。戦争は、生きるということに対する暴力的な否定にほかならない。虫たちだって生きているのに、人間は戦争によって、生きる自由を奪われてきた。生きるのだという強い意志を爆発させているように感じました。
今なおというか、さらにというか、地球には、戦争や紛争、災害などで難民となった人々が、日本の人口ぐらいいます。この歌をくちずさむと、少しこみあげてくるものがありました。
この夏、ジャーナリストの山口亮子さんの「ウンコノミクス」(インターナショナル新書)という本を読んで、びっくり仰天しました。 生き物というものは、食べ物、栄養を摂らないと生きていけない。そして必ず、排泄しなければならない。日本人は、1日に平均200グラム、85年間生きたとして生涯に6.2トンのウンコを排泄する。アフリカ像一頭分のスケールだそうです。いまやトイレは水洗で、ウンコもオシッコも流れる水ととともに下水道に合流し、ハイさようなら。そのあと、どうなっていくのだろうなどと真面目に考える人はほとんどいないですよね。まあ、汚いもの、臭いものとして、どうせどっかで処理され始末されるのだ、ぐらいにしか思わない。
昔、といっても僕の子どもの頃もまだそうでしたが、ウンコは、発酵させて農作物の肥料として使われていたのです。「金肥」といわれ、価値のあるものでした。食物をつくる→食べる→排泄する→肥料として土に栄養を与え、食物や家畜を育てる、という循環サイクルが成立していました。
近代になって、化学肥料が登場します。農作物の生産をとてつもなく増やし、地球の人口の増加に対応させる革命的な発明でした。ちなみにこの化学肥料を発明した人は、ドイツ人のフリッツ・ハーバーという学者で、ノーベル賞を受賞します。しかし、彼は毒ガス兵器の開発者でもありました。科学というものが、人を救いもすれば、人を殺すこともやってのけるという見本のような人ですね。とにかく、化学肥料によって、哀れ、ウンコは、やっかいなゴミにされてしまいました。
ところが、近年、化学肥料の価格が、戦争の影響などで高騰し、ふたたびウンコが注目されるようになります。下水から肥料を生み出す試みが、日本だけでなく世界的におこなわれるようになってきました。微生物が大活躍するみたいです。
しかし、それだけでは、な〜〜〜い!のです。
17度ぐらいの下水の温度熱を暑い夏のビルの空調や厳寒の地域の融雪の熱源に利用する。
ウンコの発するメタンガスを自動車や宇宙ロケットの燃料にする。
下水疫学といって、下水の検査によりコロナウイルスなどの発生を正確に測定する。
さらに、健康な人のウンコを腸の病気を持つ患者に移植する便移植療法まで生まれている。
すごいぞ、ウンコ。いまや、汚い臭いゴミではなく、人類の未来を切り開く希望の宝ではないですか。ウンコの持つ可能性をあれこれ考えていくと、なんだか楽しくなりますね。
ぼくらはみんな生きている。ウンコをして生きている。
みんなみんな 平和に生きるんだ。
