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学長なんでもノート

BTSから、李参平への旅 今村書店『日本の中の朝鮮をゆく』九州編

K-POPのものすごさ

K-POPグループのトップ5と言えば・・・みなさん、わかりますか?

BTS 、TWICE、 BLACKPINK、 Stray Kids、 New Jeansなんだそうですよ。僕はBLACK PINKまでしか知りませんでした。

アメリカの調査会社のレポートによると、K-POPアーティスト上位10組の音楽と映像のストリーミングが、なんと累計904億件!!で、昨年比で42.4%増加したとのこと。K -POPを最も聴く国は、日本(97億件)、ついでアメリカ(92億件)、インドネシア(74億件)、韓国(73億件)、インド(62億件)、フィリピン(42億件)、メキシコ(35億件)の順。トップ5は、世界の地域ごとに人気度というか、再生されている比率が違うそうです。例えば、New Jeansはアジア地域に強く、BTSはアメリカ地域(北米・南米)に強いとか。つまり、5つのグループで世界をそれぞれ魅了していることになるのですよ。なんだか、とにかくすごいですね。韓国のエンターテイメント。

李参平爺さんの感慨?

「いや〜、韓国の音楽文化が、こんなに世界に好かれるようになろうとは、想像もできなかったわい」

佐賀県有田町の陶山神社を、さらに陶祖坂を登り切った場所から、窯から次々と立ち上る煙を眺めながら、李参平爺さんならそんな感慨を漏らすのかもしれない。

いや、これは、僕の妄想です。有田焼を産み出した李参平さんは400年前の人ですから。

1592年から1598年まで、二度にわたる豊臣秀吉の朝鮮半島侵略。日本では、これを文禄・慶長の役といいます。佐賀県の唐津、名護屋城という拠点に全国の大名が結集し、15万人とも20万人とも言われる大軍勢が、玄界灘を超えて攻めに行った。戦争は結局、日本側が劣勢に追い込まれたまま、豊臣秀吉の死と共に終結します。戦争はどんなものも悲惨な被害をもたらしますが、この戦争が引き起こしたものには、各藩が高度な知識や高度な技術を有する朝鮮の人たちを大量に強制連行してきたという事実があります。今でいう「拉致」ですね。佐賀県にも唐人町がありますが、それはかつて、朝鮮の人たちが沢山いた場所のことです。特に各藩は、陶磁器の技術が欲しくて、陶工たちを奪い合うように連れてきたのです。だから、この戦争は、別名「ちゃわん戦争」とまで言われています。佐賀だけでなく、九州各県、山口県の焼き物のルーツは、まさにこの戦争に依るものです。

世界のブランドになった伊万里焼

李参平も、多くの陶工たちと佐賀鍋島の殿様に連行されてきたのです。そして有田の泉山に陶石を発見し、1616年に磁器を焼き始めたのです。1650年代、有田焼は伊万里港からヨーロッパに輸出されます。だから伊万里焼。記録によれば、1659年1年間だけでも5万点ともいわれています。当時のヨーロッパで認められるために、陶工たちはどれほどの創意工夫を重ねたのか、想像を絶します。日本風でも、中国風でも、朝鮮風でもない、IMARI風は、世界最高の市場においてブランドになったのです。まるで今なら、BTSじゃないですか!

武雄温泉駅の旅書店で…

今回の本は、旅の本です。武雄温泉駅の旅書店で手に取って思わず買ってしまったのですが、韓国の著名な美術研究家の紀行文です。韓国の旅を著した『私の文化遺産踏査記』がベストセラーとなり、日本編が出版されたのです。当時、66歳の著者の感情表現が、時折激しくなったりするのですが、それもまた良いと思います。この本のありがたいところは、著者の歴史についての思い込みや事実認識の間違いを、日本語の翻訳者が丁寧に記述してくれていることです。ご苦労様なことです。

それでも、一人の韓国人が旅を通して見た九州の文化遺産、朝鮮半島と九州の関係には面白い視点があり、特に焼き物については非常に詳しく、僕も新しい発見がありました。

今回もまた長くなってしまったのですが、最後に本からの引用を。

「有田に来てこれらの盛んな陶磁文化をみると、私は密かにうらやましくもあり恥ずかしくもあり、恨めしくもあり怒りがこみ上げもする。我々が持っていた技術で、それも、無名の陶工が日本に来てこのように陶磁器革命を起こしていた時に、我々は何をしていたのかという歴史の悔恨が感じられるのだ。そして、その答えは、職人を尊重することを知れという教訓となる。我々は漠然と、日本に来た陶工たちは日本人に捕虜として連れて行かれて、異国の地で陶磁器を焼く苦しい仕事に奴隷のように使役されたと考え、故郷が懐かしくても帰れない可哀想な人生だと深い同情を送る。しかし、その実像には異なる面もある。朝鮮に住んでいるとき、彼らは地方の窯の陶工であり・・・しかし日本に来て彼らは、陶磁器の技術者すなわち職人としての待遇を受けた。彼らが相手にしたのは、藩主という地方の最高統治者だった。・・・朝鮮では想像もできなかった扱いだった。・・・そして、日本では質の良い陶磁器に対する熱望という消費文化があった。それが結局、日本が世界の陶磁市場を席巻する力になった」

佐賀の歴史には、アジアの人同士、学ぶことがある。

これからは平和的に国境を越え、共に文化を創造する時代にしたいですね。

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